菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
221. 一つの事を成し遂げるには歳月を必要とする
私が所属する学会 から「腰痛診療ガイドライン」という腰痛診療の手引きが発刊されました。
昨年、その事が新聞で大きく報じられていました。その中で、「腰痛にはストレスが関与」とか、「画像検査は必ずしも必要ない場合も」の見出しが付けられていました。
私が、この分野で根拠に基づいた医療という概念を紹介したのが約20年前です。
その時から、本や講演を通して、臨床上の事実と我々の認識の乖離(かいり) を度々指摘してきました。
当時、国際学会で高名な学者から、腰痛への心理・社会的因子の関与について、我が国から発表がないのは何故か、という問い掛けがありました。私が日本の代表という形での答は、「我が国ではそんなに問題になっていない。何故、欧米では深刻な問題になっているか分からない」でした。
事実、我が国と欧米では腰痛実体について文化に基づいた差を幾つかの報告が指摘していました。
当時は、確かに、診療していて余り問題意識を持っていなくても、特に不便や疑問は持ちませんでした。
その後、我が国の社会も終身雇用の崩壊や不況など、急速に変化して、欧米と似たような状況になってきました。新しい概念を紹介した当時、学会の有力者から直接お叱りも受けました。私の提唱していることに留まらず、人格を傷つけられる中傷も多くありました。それでも、愚直に、自らの手で事実を積み重ねると同時に、海外の報告を整理して提唱し続けました。
新聞での報道をみて、この原稿を認(したた)め、次代を担う人々に伝えねばならないと感じました。それは、私の提唱し続けた事が市民権を得たことではなく、「愚直なる継続」の大切さです。
この事に就いては、別な所で述べています(39,215)。 そして、提唱していることがたとえそれが事実であっても、そのことが広くその領域の専門家や国民に受け入れられるのには時間が掛かるということです。
自分の仮説を真実に限りなく近づけること、そしてその事実を根付かせるには声高に主張することではなく、黙々と提示し続けることが大切です。この事についても既に記しました。(215)
私自身、「地位や年齢とともに求められる役割は変わる」(196, 215) に従って、今、自分に与えられた役割を果たしています。そんな中で、発するメッセージは、時を置いての繰り返しになってきています。「学習効果は遺伝しない」 も実感です。今振り返ってみても、当時は、自分にも他人にも厳しかったと感じます。
この手紙の中で、最初は医局員へ、次に次代を担う若者へのメッセージは、時代とともに時流に合致しなくなっているのもあるに違いありません。勿論、「時代とともに変わることは多いが、変わらないことも少なくない」は今でも事実ですが…。
東日本大震災に伴う原発事故の対応では、自分の死生観を問われました。
人生のたそがれに立った時、自分は逃げずに、ぶれずに、踏み留まったのかを、必ず、裡(うち)なる声に問われます。今は、その時に向かって自らの役割を果たしていく時と感じています。
(2013.01.07)