菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
39.愚直に生きよ
Dr.MacNabから教えられた教えの話の続きをします。何度も話してきた様に私は貯えたお金を持って、カナダへ渡りました。何の身分保障もなく、何の受入れ先の保障もない状態でした。ですから、私の最大の目標は持っていったお金で暮らせる半年間で何を得られなくても、英語が少し喋れる様になれば良いという甚だ悲壮な覚悟でした。ただ、カナダへ渡ってから、一所懸命に生きました。その時に私の愚直さが私の未来を切り開いてくれたのです。
具体例を話してみます。ある時、Dr.MacNabの息子さんが通っている私立高校から解剖実習の申し込みがDr.MacNabにありました。Dr.MacNabは、解剖学教室に連絡をし、解剖の標本を供覧する日が設定されました。この為、Dr.MacNabは自分の部下に(その当時、約11人居ました)、勤務時間終了後、解剖学教室へ行って標本作成の手伝いをする様に指示しました。皆、いつもの様に小気味良い程の返事をして、応対していました。私も4時半に仕事を終え、車で約10分かけて、トロント大学の解剖学教室へ毎日通いました。
ところが、誰も来ていないのです。標本供覧の準備をしているのは、そこの技師達だけでした。私自身の英語の理解力に問題があったのかもしれません。或いは、そういう仕事は手伝わなくても決して自分の勤務評定には繋がらないという事を彼等はよく知っている為に来なかったのかもしれません。結果として、約2週間の手伝いの間、解剖供覧の手伝いをしたのは私だけでした。高校生への解剖供覧の日が来ました。高校生達が先生に連れられて来て、Dr.MacNabもその会に出席しました。その席で技師長がDr.MacNabに「Dr.Kikuchiだけが、我々を助けてくれた」と言いました。
Dr.MacNabは、何も言わず、ただ頷いていただけでした。2週間後、“It´s for you”という言葉と共に一通の辞令が手渡されました。その辞令はClinical Research Fellowの辞令でした。結局、Dr.MacNabは、私の愚直さを買ったのでしょう。でも、もし私が向こうのシステムに慣れていて、この仕事は手を抜いても特に問題がないと私が判断していたら、こういう幸運は決して起きなかったわけです。この様に功利的に生きるよりも、時には愚直に生きた方が人の共感を呼ぶ様です。お互いなるべくこれからも愚直に生きる様にしようではありませんか。