菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

<< 前のページ  目次  次のページ >>

170.満ち足りると、人は自分の手にしたその幸福を認識出来ない

先日、医局が主体となって毎年開催している整形外科の集まりがありました。当然、共催者として経済的、人的に多大な応援をしてくれるメーカーがあって初めて成立することです。その会では、講師として招かれた先生方は、応対に当たった医局員の誠意ある姿勢に、医局や福島県に良い印象を持ってもらおうという気持ちが医局員の体全体から溢れているという御褒めの言葉を例外なしに戴きます。ゼロからスタートした組織に生きる人間の懸命な努力が他人に感銘を与えるのです。

その会で、医局のスタッフが全員揃っていませんでした。懇親会では、来てくれた講演者や参加してくれた人への応対や交流をする医局スタッフの姿が少ないことに不安を覚えました。スタッフや医局員にも出席出来ない事情は色々あるでしょう。でも、医局がここまで発展出来たのは、あるいは医局員一人一人がここまで伸びることが出来たのは、周囲の応援があったからです。自分独りで伸びることなど不可能です。この会に限って言えば、応援してくれる人達が、一所懸命その会を盛り上げようと努力している時に、肝心要の当事者が手を抜いて良いということにはなりません。そういうことをすると、何時か周囲の人々の熱も覚めて、遠ざかってしまいます。どうしても出席出来ない時や早退する時には、それなりの理由を関係者に話し、また、協力してくれている人々に御詫びを言って欠席したり席を外すのが、お互いの信頼関係を損なわない方法です。

私が教授になって9年目です。いちいち箸の上げ下げ、挨拶の仕方、他人は相手のどんな対応に満足するかなどはもはや言う時期ではないし、そんなことは、私に直接教育を受けた人間が次の世代に継いでいくことで伝統を作っていくのが本来のあるべき姿と考え、ここ1、2年、細かいことは言わないできました。また、それで医局員は充分にうまくやってきました。ところが、いざ自分達が目指してきた坂の上の雲まで手が届くと、そこに到達して初めて得たものが当たり前であることのように思えて、それまでの医局員の懸命な努力を自らの心から忘れて来ているように思います。人間は、自分にとって必要なものが満たされ始めるまでは、今までどれ程それを必要としていたかが決して分からないものです。また、一旦満たされてしまうと、満たされたものの大切さも忘れがちです。

一方、このような苦言を呈する人間の立場に立ってみると、たとえ部下であれ苦言を呈する場合には、相手が傷つかないような話し方に気を使ったり、その後の本人に対するフォローの仕方を考えたりします。何より嫌なのは、自分自身が不愉快になり、それが短時間には払拭出来ないことです。でも、言うべきことを言うべき時に言わないと、組織や個人、あるいはその関係が崩れていくのだと思います。

私が教室を引き継いだ時に自分に配られたカード、即ち人材、組織の大きさや層の厚さ、経済力、業績、どれをとっても自分が今まで知っている組織とは雲泥の差で、文字通りゼロからの出発でした。しかし、スタート時の医局員に、世の中にはレベルの高い医療や医学、そしてそれに伴う質の高いサービスや寛ぎを与える信頼感があって、そのことが患者さんを引き付け、患者さんの信頼を獲得することによって人材も金も集まり、業績も出来上がってくることを率先して教えました。それを知らせるために私自身、自分の全てを医局員の教育に注ぎました。

凡庸な努力では凡庸な結果しか得られないので、懸命に努力するしかない、我々に配られたカードは変えられないのだから、それを前提に自分の出来ることで道を拓いていくしかないと説いてきました。組織が発展するためには、1人1人が伸びなくてはなりません。5%の人でも良いから本当に自覚してやってくれれば、その他はデレデレしていても組織は発展していくものです。しかし、幸い全員ひたむきに頑張ってくれて、現在の医局があるのだと思います。医局員は海外留学、国内留学、そして学外との多彩な交流により、自分達の座標軸がきっちりと見えてきています。医局以外の環境を知らない人間は、自分の属している医局という環境がどん底であるかどうかさえ全く分かりません。比較するものを持たない人間の悲しさです。

組織とは時に個人にとって煩わしいものです。しかし、人間は独りでは生きていくことは出来ません。組織に属しているからこそ出来ることがたくさんあるのです。医療や研究1つとっても組織の重要性はすぐ理解出来ます。その組織の活力を削いでは、結局個人が損をします。組織としての活力や力を個人が利用するためにも、組織のために汗を流すことが必要な時もあるのです。

我々に今求められるのは、最近何度も言うように、原点に戻ることです。自分達が他の大学の人と同じようなことをしていては、自分達に決して明日はありません。何故なら、与えられた環境が異なり、その後の歴史も違っているからです。しかし、それを嘆いても誰も助けてくれやしません。そのことを1番知っているのは医局員自身だと思います。医局員が自覚して行動しない限り、医局の外の、あるいはOBの人が自分達の自助努力が人一倍必要なことを自覚しようがないではありませんか。他人への「ちょっとした思いやり」ということを忘れたら、うちの医局の美点はなくなってしまいます。

 

 

 

▲TOPへ