菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
169.「良い患者さん」「悪い患者さん」というのは存在しない。患者さんは良くも悪くもなる
我々は日常業務の中でよく「良い患者さん」とか、「あの患者さんは扱い難い」とかいう言葉を口にします。何気ない言葉ですが、厳密にいえば、良い患者さんとは自分にとって意思疎通が出来る患者さん、ないしは対応し易い患者さんという意味だと思います。こういう患者さんに対しては、我々はつい気を許し、言わずもがなのことを言ってその患者さんを不安に陥れたり、気を悪くさせてしまうことがあります。ときには医学的な冷徹な心を忘れ、却って医療トラブルを起こしてしまうことさえあるかも知れません。しかし、「良い患者さん」でも一旦、自分にとって予測出来ないこと、あるいは自分にとって不利益なことが、何等の思い当たる理由もなく起きた場合には、その瞬間から医師にとって所謂、悪い患者さんになります。別に、それは患者さんが元々悪い性格を持っていたのが表面に出たというようなものではなく、我々を含めて人間なら誰でもが持っている性向だと言えます。
人間とは、自己中心的で、以前にも記したように、曖昧な偽善の上に立っている存在なのですから当たり前なのです。順調に回復したり、治療が順調にいっている場合には、誰も幸せに思うし、希望も持てます。しかし、一旦、自分の思うようにならない、あるいは自分の力ではどうにもならない存在にぶつかったときに、その怒りは、最もぶつけやすい相手である医療従事者に矛先が向けられます。
逆に、所謂、悪い患者さんも、医療の対象とならないような人格障害者を別にすれば、状況の変化によって所謂、良い患者さんにもなり得るのです。自分の治療に希望がみえてきたら人間自ずと明るくなりますし、他人にも優しくなります。人は、心も物質的にもある程度豊かでなければ他人に優しくはなれません。そういうことを考えると所謂、良い患者さんで、旨くコミュニケーションがとれる患者さんの場合には、その関係を持続する努力が必要です。そういう患者さんに悪いニュースを伝える場合、患者さんが何とかそれを受け入れる気持ちになれるように、心情を推し量りながら旨く誘導するのがプロとしての医師の役目だと思います。逆に所謂、悪い患者さんには、少しでも希望が持てるように話してやり、病気に対して戦う意欲を持たせるように励まして、共に戦おうとしている人間が少なくともここに一人は居ることを様々な形で患者さんに伝えるべきです。
このように、自分がもし患者であったらそうであるように、患者さんも状況によって変わり得るのです。それだからこそ、コミュニケーションがとれる患者さんにはコミュニケーションの維持に心を砕き、旨くコミュニケーションがとれない患者さんにはとれるような対策を考え、プロとしての知識や経験を生かして対応すべきなのだと思います。どんな患者さんのどんな状況でもクールな頭脳とホットな心を持って、プロとして心の隙を自分にも他人に対しても作らないことが肝要です。