菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
158.無駄こそ後から利いてくる
今年の連休の谷間、一つ気が付いた事があります。MRの人を一人も見なかった事です。但し、私が連絡をしたS製薬のTさんは来ましたが、これも自ら来たという事ではないので、居ないのと同じかも知れません。これに対して、医療機器のディーラーの方々は大勢来て居ました。しかも、毎日来て居ました。これを見ると、製薬メーカーが厳しいとかリストラだとか言っているが、本当のところはまだまだ甘いし、会社の構成員一人一人も本当に危機感を持っていない、という事が判ります。本当に危機感を持っているとしたら、連休の谷間だから来なくていいとか、休んでいいという事にはならない筈です。
一所懸命業績を上げようとしたら、やはり他の人の居ない連休の谷間こそ自分をアピールする絶好の機会であると捉える筈です。一方、ディーラーの方々は、病院が動いている以上、我々も色々な事を頼まなければなりませんし、それに対応する為に来ているわけです。こういった状況を見ると、我々は以下のようにこの状態を考える事が出来ると思います。
連休の谷間に来る事で、どれだけ自分や或いは会社にプラスかというと、プラスはないのかも知れません。しかし、たとえそうであっても連休の谷間に来ているという事実によって、医局員と来ている人々の間に一体感が生まれます。しかも、連休の谷間だからこそ来ている事が極めて印象的に映ります。日々の無駄の積み重ねが、結果的に自分や自分の会社のイメージや印象を作っているのではないのでしょうか。
自分自身に振り返って見ると、私自身は無駄と思われる事を幾つか日々しています。一つは、昔、病棟を持っていた時に、自分が医局に降りてお茶を飲む時間がある時には病棟で患者さんと雑談をする事にしていました。そこでは患者さんからお茶を入れてもらって雑談をするわけです。それは、病院を離れるまで続きました。更に、毎日、机の前に座る習慣を着けました。最終的には座ることが目的になってしまいました。全く本を読まない時もありますし、読んでも頭に入っていない時もあります。合理性という面から見れば、一つ一つは全く無駄なように見えます。しかし、その無駄と思われる事の日々の継続がその人間の心構えを作っている事も無視出来ないような気がします。
無駄というものを考える場合に念頭に置かなければならない事があります。無駄には本当に無駄な場合もあります。しかし、もう一つは、無駄と見えるが後々大きな意味を持ってくる場合もあります。更には、自分では無駄だと思っても結果的には実は無駄では無い事もあります。『冷や酒と親の小言は後から効いてくる』という諺通り、一見無駄だと思われる事も、その状況によっては必ずしも無駄とは限らないので、日々、目の前にある懸案を一つ一つ愚直にやっていく事が後から大きく役に立ってくるように思います。