菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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154.ならぬものはならぬ

会津武士の美学を示す言葉として、「ならぬものはならぬ」という言葉が伝えられています。先日は久し振りに心底医局員を叱ってしまいました。叱った後の虚しさはやはり以前と全く同じでした。しかし、やってならない事はやってならないのです。自分達が決めた規則を自ら破っては身の破滅で、組織の破滅にも繋がります。

今回の事件は幾つかの教訓を私に与えてくれました。事のあらましは簡単です。火曜日の朝、カンファランスの前にカンファランスルームを覗きました。燃えないごみの箱があるのに気付き、中を覗きました。そしたら、清涼飲料水の缶がごろごろ転がっているのではありませんか。しかも、その中には煙草の吸い殻さえあるではありませんか。驚きました。私は激怒しました。病棟内は禁煙です。これは病院の規則です。患者さんも例外ではありません。

前にも述べた様に、医者にだけ許される規則は無いので、当然 No.75 にも書いたとおりです。生活の匂いをさせてはいけない。広い意味での晴と褻の区別、或いは「公的」と「私的」の違いを理解することの重要性を示しています。カンファランスルームの隣の病室では大黒柱の主人が倒れて、或いは愛する子供が生命の危機に瀕して嘆き悲しんでいる時に、インスタントラーメンの香りや清涼飲料水を飲みながら談笑することは、患者さんには到底受け入れられるものではありません。もし患者さんが受け入れている様に見えたら、それは患者さんが我慢をしているのです。

病院の主人公は患者です。私だって冗談の一つも言いたい、大笑いをしたい、そんなことはしょっちゅうです。しかし場所と時が問題です。カンファランス室は仕事場で、しかも仕事場である病棟という中にあるのですから、そこでは談笑するのはいいが、ドアは閉めなさい。飲食は、生活の場でないので生活の匂いをさせてはいけない。したがって飲食は慎んだ方がよい。他所で飲食できない訳ではないのだから。生活の匂いと患者さんの人生を賭けた真剣勝負の場は合わない。それゆえに飲食は禁止した筈です。皆、何故禁止したかを納得してそのルールを決めた筈です。それを自ら破って良いということにはなりません。

破った理由を後でその人間達に聞いてみました。そしたら、「疲れ果てて医局まで戻ってくる気力がない」という事でした。そこで、「当直室で飲食をすれば良いのではないか」と私が言いましたら、「先輩に遠慮してしまう」という答えでした。これにどう対応するかは、今後の我々スタッフの課題です。今後検討してみたいと思います。しかし、元々決めた規則の、何故決めたかという規則の原点に思いを致せば、やはり飲食や喫煙は出来ない筈です。自分がコーヒーを飲む時には、患者さんも飲むことが出来る状態でなければなりません。自分が煙草を吸うのであれば、患者だけが禁止されている謂れはありません。そういったことを考えると、「ならぬものはならぬ」、という諺が身に染みます。

今後、研修医達の心身共に疲れた体を労る為の飲食は、医局に降りてこないで出来るにはどうすればよいかということは、少し考えてみたいと思います。

 

 

 

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