菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
75.晴れ、褻の区別をせよ
日本人は古来晴れ、褻の区別をして来ました。これは医師としての仕事上でも同じです。患者さんと対面する場に居ない時はどんな格好でも構いません。しかし、患者さんと接する場面、即ちフォーマルな場面ではきちんとした服装、きちんとしたマナーを守る事、それが晴れです。最近その晴れと褻の区別が幾つかの場面で明確になっていない事に気が付きました。今回はそれに就いて述べて見ます。
病棟にあるカンファレンス ルームは文字通りカンファレンスをする為の部屋です。その部屋を研修医や医局員が控え室や休憩室として使っているのは我々の勝手で、その為の部屋でない事は頭に入れておくべきです。ましてその部屋は病棟に存在しており、しかも患者さんの目に始終触れる場所にあります。そこで普段自分が尊敬しているドクターがだらしない格好で日中から寝ていたり、部屋の中が物置か倉庫の様に乱雑に散らかっていたり、食べ物の残り物や丼が乱雑に置いてあったら患者さんはどう思うでしょうか。我々の職場である病棟は晴れの場です。晴れの場に生活の匂いをさせてはいけません。
私が何時でも言っている事が最近また守られなくなって来ています。自分が加害者である時は気が付かなくても一端被害者になった場合、例えば自分が入院患者になってみれば直ぐにその事に思い至る筈です。我々は医師という道を自分で選択したのです。人に強制された訳ではありません。自分で選んだ道なのですから、辛くても頑張るべきだと思います。
また、医局が時に乱雑のままに放置され、朝来て見ると、とても目を覆いたくなる光景が目の前に展開します。何度か言っては、その都度改善されますが、医局員の顔触れが変わったり時間が経過するとまた元の木阿彌です。そこの職場で前日に何があったかは当事者達はよく知っています。しかし、全く部外者である学生や業者さん達や他の病院の人達がその光景を目にしたら、その乱雑になっている原因まで斟酌してこれを理解し納得してくれるでしょうか。何とだらしのない医局だと思うでしょう。
また、自分自身その様な中で身を置いて仕事をする事が自分の精神に凛とした雰囲気を与る筈がないではありませんか。職場はだらしがないけれども自分の家はきちんとしているというのでは最早言語道断です。また、何度でも繰り返し述べていますが、職場の整頓は良く出来ないけれども、仕事や診療は良く整頓して、遂行出来るといった人は今まで見た事がありません。やはり他人の目に触れる場所は晴れです。褻の場所とは明かに区別して整えるべきです。
もう一つ、褻と晴れの区別が大事だという事を示唆する卑近な例を挙げてみましょう。私は福島に来て、ある料亭に招待されました。料亭に行くというのは、その目的は何であれ、晴れです。そこでは、日常生活では味わえない美しい様式や佇ずまい或いは、食を満足させてくれる所でもあるわけです。私がその料亭の玄関を訪れたら、玄関で2,3歳の子供がボールで遊んでいるのです。その事にも驚きましたが、料亭の玄関で遊んでいるその子供を、店の者は誰一人としてそれを止めさせず、一緒に遊んでいる始末です。
私はその時、百年の恋も一遍に冷めた様な気持ちに襲われました。これは、地方だから仕様が無いといった次元の問題ではありません。料亭に求められるものは、非日常性です。その非日常性に今述べた様な日常性が入り込んできたり、混在していたのではお客さんの気持ちも一遍で日常に引き戻されてしまいます。大袈裟に言えば私は福島の、文化の程度はこれで判ると感じました。同じ様な事は私だけが感じた様ではないようです。
数日後、タクシーに乗った時にこの話を運転手さんにしたら、全く同じ様な事を東京から出張してきた人間が言ったそうです。やはり人は常識的な事は皆同じ様に考えるのです。ですから、褻と晴れをきちんと区別する事は、自分の行動を凛と見せるだけでなく、人にもそれを感じさせる事になるのです。注意しなければなりません。