菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
139.自分の言動に責任を持て
今年も何とか無事に暮れようとしています。医局にも色々なことがありました。最近自分を含めて、自分の言動の他人に対する影響や、自分が事の重大さを気付かないままに無責任に発言することの恐ろしさを幾つか経験しました。今回はそれをここに記して、「医師への手紙」の今年の最後にしたいと思います。
1つは、恒例の医局へのお歳暮の件です。関連業者や関連病院から恒例のお歳暮が届きます。その中に以前から私が気になっていた某社のお歳暮がありました。それは、医局員の名前をお歳暮と記した紙の上にメモのように書いて、医局の机の上にひとまとめにして置いていくやり方です。何年経っても改まらないので、私は秘書を通してこのやり方を改めるように申し入れました。お歳暮を送るのはそちらの勝手で、それを何の関係も無い医局の秘書を使って渡すというデリカシーの無さに腹が立ちました。
お歳暮を送る本来の気持ちは、「1年間色々御世話になりました。今年も無事に終わります。来年も宜しく御願いします」という意味を込めた儀式だと思います。また、医局の秘書たちは、その会社には「拘り」もありません。ましてやこの年末、少ない秘書の人数で、食事もしないで仕事をこなしている現状の所に、何でわざわざそのような仕事を押しつけていくのでしょうか。
そういうことを知ってか知らずか、平然と置いていくその無神経さに腹が立ちます。お歳暮を送りたいと思うなら、自分の会社のコストできちんと医師に送るべきです。全く関係のない秘書の手を煩わせてはいけません。或いは、大学に持ってきても良いですから、自分の手間暇で相手に渡すべきです。それを、自分の会社で秘書に給料を払っているかの様な錯覚をすら起こさせる様な無礼な振る舞いは、社会人としてのマナー失格です。
多分、当の会社ではそんなことが社会人のマナーに反しているという意識すら無いのではないでしょうか。言われて初めてか分ったのではないでしょうか。分かっていなくて、ただ叱られたから持って行けないというだけにしかすぎないのかも知れません。いずれにしても、自分の言動を第3者的に見て批判を受けないかどうかは、私を含めて時々顧みる必要があるように思います。
もう1つの事件は、関連病院の院長の何気ない発言が引き起こした波紋です。我々は県立病院の第3次医療計画策定に沿って、医局の運営もそれに対応して手直しせざるを得ません。周囲の環境の変化に医局は対応していくことが時代の要請です。その時代の流れに対応しようとして行った人事計画が、何気ない一言で中止せざるを得なくなりました。ある関連病院の部長が、私に酒の席で「あまり県立病院を苛めるな」ということを言われました。私は酒の席とはいえ、我々の医療情勢に対する捉え方と、かの部長のその対応がこんなにまで違うのかと、情けなくなりました。
しかし、他人の考えや印象は、直し様もありません。私自身は、関連病院を苛めるという気は全くないとしても、相手はそう取っているのですから、医局はそのように考える人達へも心配りをしなければなりません。従って私は、その人事計画が関連病院苛めというふうに捉えられた手法のまずさを認めざるを得ません。自分がいくら正しいと信じてやっても、周りが正しいとは思ってくれなければ、必ずしも旨くいかないのは世の常です。従って、医局が我慢して克服出来るものであれば私は我慢する方を選びます。こんな訳でこの人事構想はご破算になりました。
このようにみてみると、知ってか知らずか、自分自身の言動は絶えず他人の評価に晒されているわけです。私自身も過去に多くの失敗をしてきました。また、真意が伝わらずもどかしい思いをしたこともあります。現在もなお、私自身多くの人を傷つけたり、私の何気ない一言で人生を狂わせたり、路頭に迷いそうになったこともあると思います。ただ、自分の何気ない言動がそのような波紋を巻き起こす可能性があるということを認識して行動するのと、認識していないで行動するのではだいぶ違うと思います。お互いこういったことを今年の締め括りの反省点として、筆を置きたいと思います。