菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
108.医療では、親と医師という立場は相反する
医師或いは医師の身内が医療を受ける場合には、色々と複雑な問題があります。医師ないし身内が治療を受ける側、即ち患者さんとしての立場に置かれると、当然、まず親として或いは患者としての希望があります。それは、「最善の治療を受けたい」或いは「最善の治療を受けさせたい」という気持ちです。これは医師であるかどうかには関係ありません。
次に医師としての立場があります。医師としての立場は、その症例に対して、医師としての第三者的な評価が求められる事です。もう一つは、医師として、自分或いは身内の「患者としての立場」と、周囲の他の患者さんとの関係の整合性です。即ち治療する時には、例え自分或いは自分の身内といえども、治療方針ないし治療のスケジュールは全て周囲の事情、或いは人的配置という相対的なもので決まります。即ち他の患者さんの状態や、他の患者さんの都合、或いはその科の人的、日程的な都合などで全てが円滑に行くように治療体制が組まれます。医師ないしその身内が患者さんの場合には、この相反する立場をきちんと切り離して考えないと、とんでもないトラブルが持ち上がります。
例を挙げてみましょう。医師の御子息が入院したとします。この医師は親としてまた医師として万全の治療体制を取りたいと思うでしょう。その時に手術日ないし手術方法、術者、手術時間まで自分の思い通りにしたいでしょう。しかしそれは親としての立場であって、必ずしも医師としての態度としては妥当かどうかが問題です。先程述べたように、医師はあくまでも他の患者さんや、その科としての体制が円滑に行くかどうかという視点から治療の日時や療法、術者、入退院の日を考えていかなければなりません。この場合、医師という立場を利用して、その権限を患者の立場に介入させることは問題を引き起こします。
何故なら、対応する医師側は親としての立場は良く理解できるし、かつ相手が同僚の医師の御子息であるという事に最大限の配慮を払っている筈です。それはその医師に頼まれなくてもです。良い治療を受けさせたいという親の希望として、色々と述べる事は重要な事ですし、また当然の事でもあります。それに対して我々医療側は、全力を尽くしてその先生の希望を叶えるようにするのが普通です。ただその時に、医師としての権限を利用して、手術日や術者を我々サイドの事情を全く斟酌せずにセットされてしまうと、他の患者さんや我々スタッフの配置がうまく出来なくなるという可能性があります。
しかも、親として、また医師としての最善が、子供にとって本当に最善の治療かどうかさえ、第三者から見れば疑問です。何故ならそこには客観的な評価が入っていないからです。ですからこの親と医師という相反する立場は、必ず切り離さなければなりません。あくまでも親としての希望を述べれば、その親の背景を考えて医療サイドは万全を期す訳ですから、その医療サイドに全て任せるのが一番旨くいくのではないでしょうか。
私自身に関しての、その点を踏み外してしまった苦い経験は、No.106 に書きました。
この様に我々医師は、普段医療を受ける側に立っていますので、一旦医療を受ける側に廻った時に、時々その見境を失い、まわりに迷惑を掛けます。我々は診察する側と治療を受ける側との立場を良く弁えて、一旦治療を受ける側に回ったら片方の立場は完全に捨てて、医師としての知識、或いは医師としての繋がりを大いに利用して、色々と手を尽くすのは当然ですが、最終的な判断や最終的な決定は、全て治療する側にお任せするのが礼儀ですし、うまくいくこつだと思います。お互い自重しなければなりません。