菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

<< 前のページ  目次  次のページ >>

107.理不尽でも今やらなければならない事はやり,妥当でも後からやっても善い事は後に廻す

医療や研究の場では、相手の言っている事がどんなに理不尽でも、やらなければならない事があります。能力のある医師というのは、技術や知識がある医師をいうのではありません。今、やらなければならない事はどれかと、瞬時のうちに優先順位を付け、その優先順位に従って行動することが出来るのを言います。

例を挙げましょう。大きい病院では主治医交替があります。主治医交替の場合に、申し送りするには時間がない時があります。しかし、時間がないからやらなくて良い、或いは遅れても良いという事にはならないのです。例え睡眠時間を削ってもやらなくてはならないのです。

また、自分の受け持ち患者が死亡した時、深夜の場合には当直医がその臨終の場に立ち合えば良いとされています。あるいは、患者さんが具合が悪い時には当直医が対応すれば良いのです。その為に当直医は居るのですから。理論的にはそうです。しかし、患者さん本人、あるいは患者さんの家族、さらにはコメディカルのスタッフが、真夜中にも拘らず主治医が駆け付けて、懸命に対応している姿を目にしたらどう思うでしょうか。尊敬と共感をその医師に覚えると思います。しかしそれは「規則ではそんな事をする必要がない。私にはそんな義務はない。疲れているのに何で出てこなければならないのか。理不尽である」と思う医師もいるかも知れません。しかし、患者さんやコメディカルとの信頼関係という点からみたら、やはり前者の行動が自分の評価を高め、仕事をする上でさらに円滑さが増します。

これは、私が何時でも言っているように、「患者さんに優しく」という事の一つの現れです。患者さんに優しくするという事は、「笑顔を見せる」のも一つの方法でしょう。あるいは「優しい態度で接する」のも、もう一つの方法かも知れません。しかし、「優しさとは、他人に何かを施す事ではなくて、他人を愛する心だ」と思います。その患者さんを思えば、必然的にそういう行動になります。これは理屈ではなくて情の問題です。

「修業とは矛盾に耐えること」でもあります。修業はやらなくてはならない時に、やらなければならない事をやらないと修業にはならず、結果的には医師として大成はしません。時期を逸するとそれは、「六日の菖蒲、十日の菊」のようなものです。「歳月は人を待たず」です。時間は待ってくれません。やらなければならないその時期を逸しては駄目なのです。人を上昇せしめるのは主として才能と努力でしょう。

しかしもう一つ、しかもそれが一番大きいと思いますが、以前にも書いたように、人力の及ばない不思議な力であるように思います。それは「運」です。その運は寝て待っていても飛び込んできてはくれません。やはり理不尽でも懸命に努力し、矛盾に耐えて頑張っていると、運が自分に微笑んでくれるのです。努力しても報われないかもしれません。しかし、努力しなければ決して報われることは期待できません。

 

 

 

▲TOPへ