菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
85.自分の評価は結果で、部下の評価は経過でみよ
研修医はあらゆることを本などの情報で、しかしその大部分は先輩からの口伝えや手を取っての指導で覚えていきます。研修医にとっては他人から色々な形で真剣に「学ぶ」ということが大事なのであって、研修医がどのくらい力があるかとか、どのくらいのことが出来るかは問題ではないのです。これに対して、一人前の医師は、途中経過はどうあれ結果で評価されるのです。それがプロフェッショナルとしての厳しさです。
私は今日、大学へ赴任して以来初めて心の底から怒りました。これからその話をして私が何故怒ったかを医局員に分かって貰い、今後の糧にして貰いたいと思います。
部長回診の時に、術後5日目で発熱が続いている患者さんを見付けました。術後5日で37℃台というのは少々あり過ぎです。患者さんが喉が痛いと言うので、「喉を診たのか」と主治医に聞きました。そしたら喉は診ていないという答えでした。喉が痛いという患者の訴えに二つのことを想像させました。一つは、麻酔時の挿管による痛みです。二つ目は喉頭炎か咽頭炎です。しかしその鑑別は喉を診なければ決して誰にも分かりません。しかし、彼等は診ていなかったのです。
次に私が考えたのは、抗生剤によるものではないかという疑いでした。抗生剤はしばしば発熱や下痢、即ちアレルギー反応を伴います。しかし抗生剤かどうかをチェックする前には当然、術後感染の三大原因を消去しておかなくてはなりません。即ち創部感染、次に呼吸器感染、そして最後に尿路感染です。しかしいずれもチェックはしてありませんでした。私はこれらのチェックをしている事の前提で話をしています。研修医はその原因は究明出来なくても決して咎められません。しかし、チェックをするという当然しなければならない途中経過を省いているとしたら、これは言い訳出来ないミスです。私は患者さんの前で怒鳴るこを辛うじて堪えました。あってはならないことだからです。しかし廊下に出てやはり我慢出来なく、激しく叱り詰所に戻ってもその怒りを私はどうしても押さえることが出来ませんでした。その理由は次の通りです。
一つは、私が他の教授と少し違っているとしたら、それは臨床経験の豊富さです。一般病院で永い間やってきたために色々な経験を持っています。その経験から得られた結果が、一日3回の回診です。朝は始業前に回診して、患者さんが夜一番長い医者のいない時間の後にある訴えを素早く汲み取り、直ぐに対応してあげるということです。それによって患者さんは大きな信頼感を医者に寄せます。毎朝回診することは患者さんの信頼関係の獲得と症状に対する素早い対応のためです。しかし先程述べたような事実から見る限り、この朝の回診はその為の手段ではなくて、回診そのものが目的になってしまっていたのです。即ちセレモニーです。私が5年間毎日のように口を酸っぱくして言ってきたものは一体何だったのでしょう。
もう一つの腹が立った理由は、これだけ万全なるピラミッド体制のチェックシステムを作っていながら、結果的に術後の発熱感染の恐れのある患者さんにさえろくな対応をしていないそのシステムの脆さです。これが麻痺であったらとぞっとします。自分が精魂込めて作り上げたシステム、自分が精魂込めて学び取った朝の回診。しかしそれは結果的には形骸化していたのです。私は就任以来初めて心の底から絶望と怒りが吹き出して押さえることが出来ませんでした。どれだけ自分の体と時間を犠牲にして教育に費やしてきた情熱の代償はたったこれだけなのか。こんなことのために自分の全生活を医局再建のために費やして、得られたものはこれだけだったのか、という無念の思いです。
医局員諸君、原点に戻らなくてはなりません。何のために朝回診をするのか、何のために初期研修、中期研修、病棟長というピラミッド体制をとっているのか、もう一度考えて下さい。臨床医学は決して満点の治療成績は出来ません。だとしたら満点にならない分を患者さんとの信頼関係でその点数を1点でもかさ上げするしか我々には手はないのです。そこが医学は科学ではなくてアートなのです。もう一度良く考えて下さい。私の築いてきた人生観や教育の仕方が間違いであったと意地でも思いたくありません。私を含めて、病棟長以上のスタッフは結果で評価されます。研修医は何をしなければならないのかの途中経過で評価されるべきです。それをやっていなければ結果オーライでも、研修医の評価は零点です。