菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
84.過去は言うな
私が結婚式の仲人をする時には決して過去の履歴は言いません。医局員はよく知っていることと思います。私は奇を衒って過去の履歴を長々と述べないという訳ではないのです。私には私なりの信念があるのです。医局員は充分知っていると思いますが、これだけ医局員が増えてくると誤解を招く向きもあるかと思うので敢えてここで記します。
過去は過去です。過去があるから現在があるのです。現在は過去の積み重ねです。時間は流れて行くのではなくて、過去の色々な経験が積み重なって現在を築いている訳です。ですから現在がその人間の全てであって、過去はその現在があるための土台になっている訳です。永い人生を生きていると色々なことがあります。言われたくない過去もあります。しかし、その言われたくない過去をバネにして現在があるという人が多いのではないかと思います。
人から尊敬されたり、仰ぎ見られるような業績を残した人には共通点があるように思います。それは劣等感です。挫折感です。そのことがバネになっていると思います。ではその劣等感やバネになった挫折は人に吹聴するようなものでしょうか。人前で堂々と述べられるようなものであれば、それは劣等感でもなく挫折でもないのです。普通そういう話しは決して人には言いたくないのです。結婚式で皆、才媛、秀才で麗々しく何処何処小学校、何処何処中学校、何処何処高校、何処何処大学、趣味は何と述べます。そんなことは現在の地位、人格を築くための糧だった訳ですから、現在を見ればそんなことはどうでも良い訳です。
その現在を築くための道は人によって様々で、これでなくてはならないという道はないのです。様々です。それで良いのです。ですから今言ったように道は様々、その道を歩んで来た過去には言われたくないこともある、人に知られたくないこともある、そんなことはないという人間はいない筈です。そういう挫折や劣等感がその人間を味わい深くしているのです。でもそれを他人にオープンになっても良いと言うことには結び付きません。ですからこちらからは過去には触れないことがマナーです。相手が言う過去は、その人が自ら話す限り聞いて良いです。でも相手に過去を問い正すのはやってはいけないことです。人には触れられたくない過去があるものです。