菊地臣一 コラム 「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
210. 「経験」 を究めると 「科学」 になる
現代の医療従事者に求められている理想的な医療とは、EBM(evidence-based medicine) という科学 (science) と、NBM (narrative-based medicine)、乃至(ないし)は経験に基づいた技術(art) の統合であると言えます。
果たして医療を実践するうえで良いことなのかどうかは分かりませんが、将来、art も science に置き換えられる可能性があります。
現時点では、我々は日々の診療を実践するなかで先人達から 「経験」 を次の世代に伝えてもらい、それを自分の経験として今までに蓄積されてきた科学を統合して、明日の診療に活かすというのが実態です。
最近、 「経験」 を究めると 「科学」 になるのではないかということに思い至った出来事が二つありました。
一つは、腰痛に対する最新の知見に関してです。
EBM という science が明らかにしたのは、皮肉にも、art の極致とも言える NBM の重要性です。そして、腰痛を考えるうえでは、 「健全なる精神は健全なる身体に宿る (ユウェナリス 「諷刺詩集」 )」 という格言は、むしろ 「健全なる身体は健全なる精神に宿る」 というほうが事実に近いことが分かってきました。実際、私は、こういうことを根拠を提示して講演で話しています。
たまたま、30年以上前に亡くなった骨接ぎだった父に対して患者さん方が作成して下さった追悼集 「しのぶ草」 を読む機会がありました。そのなかで、患者さんだった一人が、何と、 「健全なる精神は健全なる身体を培う」 と、医療哲学という言葉を用いて書いていました。私は、今まで読んでいたのにこの記述に気付きませんでした。いや今の自分だから、そこに目に留まったのかもしれません。一骨接ぎとして戦後を生きた父が辿り着いた境地と、私が父を越えよう、或いは究めようと腰痛の臨床と研究に懸命に努力して辿り着いた結論が同じだったのです。父と私のアプローチは全く異なっていても、到達した地点は同じだったのです。
只、このような認識は、経験豊かな多くの医療関係者は以前から know-how として持っていたように思います。
つまり、30年掛けて art を science に変えた、或いは経験から得られた認識が普遍的な事実であることを立証したとも言えます。
只、経験を多く積めば、それが普遍的な事実、或いは限りなく普遍に近い仮説を得られるのかというと、私はそうは思いません。
先ず、 「経験」 を普遍的な何かに変えるには、経験を真に経験として蓄積することが前提になります。それに加えて、センス (極めて曖昧な言葉ですが、そうとしか言いようがありません) が必要な気がします。
先日、ビデオ撮影のときに、スタイリストの方と雑談をしていました。 「経験」 と 「究める」 という話に及んだとき、私が 「経験だけでは駄目で、そこに何かのセンスが必要だ」 ということを言いました。これに対してスタイリストの方が 「自分達の領域でもその通りだ」 と応じました。分野は違っても、究めるということでは同じだということに思いが至りました。
もう一つは、日本整形外科学会 (私が所属している整形外科の学術団体) で頚や腰の治療結果を評価する物差しの改訂作業に携わったときに経験した驚きです。
日本整形外科学会が作成した治療の結果を計る物差し (治療成績評価基準 略称: JOAスコア) は以前からありました。我が国から海外誌への投稿論文も、この方法で判定されて報告していました。ところが、海外一流誌の査読者達から、 「この物差しは、科学的な信頼性や妥当性が立証されているのか」 、或いは 「極東の国の物差しにどれだけ科学的裏付けがあるのか」 という厳しい評価が相次いで寄せられたのです。
この物差しを科学的に再構築しないと最早、我が国から海外の一流国際誌には採用されないという問題が持ち上がってきました。そこで、日本整形外科学会と関連学会が一緒になって、新しい物差しを作り直す作業が行われました。
その結果は、先人達が経験に基づいて作った旧JOAスコアと、科学的検証の手順に添って我々の作った内容 (新JOAスコア) が余りにも似通っていたのです。
正直言って、驚きとともに、先人達の art と言うべきセンス ( 「勘」 とでも言い換えられるかもしれません) の鋭さとその苦労が改めて忍ばれました。
従来の物差し(評価法) は、 「経験」 を積み上げて作った評価法です。一方、新しい物差しは、科学的な手法を以て積み上げてきた評価法です。この二つの結論が極めて似通っていたのです。
ここでも、 「経験」 を究め、そこに何かのセンスが加わると 「科学に至る」 ということを教えられました。
私は、長く一般病院で働き、臨床で多くの経験を積みました。その経験のなかで多くの患者さん、患者さんの家族、そして関係者に苦痛や苦悩、そして哀しみを与えてきました。
私自身はそんな art ともいうべき経験を糧として研鑽を積み science を目指しました。物差しを作り直す必要性を強く主張したのは、他ならぬ私なのです。最後に辿り着いた結論は、アプローチは違っても経験の積み重ねと同じだったのです。
次の世代を担う医師は、苛烈な診療環境に置かれています。充分な研究や思考を突き詰めていく時間がないのではないかと危惧しています。
只、彼等に送るエールとしてこれだけは言えます。「経験」 を真の経験として会得し、得られた何かに少しの工夫を加えると、それは普遍性のある科学に限りなく近付くということです。
日常診療のなかのありふれた愁訴のなかにある共通の事実に注目して、頑張って戴きたいものです。
(2009.08.11)