菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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191.マニュアルは非常の為にこそある

医療過誤の記事がマスメディアを賑わしています。その対策として、仕事の手順のマニュアル化が全国の病院で進められています。「マニュアル化」という方法は、知識や技術のレベルがまちまちであっても、仕事の内容に一定の水準を維持させることが出来る方式として、アメリカを中心に発達したシステムです。医療の現場では、多種多様な職種の人々が大勢、一つの目的に向かって関っているだけに、これは有用な方法です。最近、手術の為に入院したジャンボジェット機のパイロットから、「医療の現場は、航空の現場と比べると、まだまだリスクマネージメントの管理が徹底されていない」、と指摘を受けました。正にその通りです。医療界では、リスクマネージメントをシステムとして整備していこうという動きが漸く始まったばかりなのですから。

このような時代背景のなか、先日、手術場でリスクマネージメントとしてのマニュアル化の困難さを教えられた出来事がありました。Hastings frameを用いての脊椎の手術のときです。手術場のある職員は、Hastings frameに附属している胸当ての昇降用のハンドルを手術台の脇に持ってきていませんでした。私が「ハンドルがない」と指摘すると、彼は「いや、ジャッキはハンドルがなくても手で廻して上げられます」と答えました。私は、「手で上げられるから良いのではなくて、必要な道具をその場に揃えていないことが問題なのだ。緊急事態発生のときにはその現場に居合わせた誰でもが、容易に、そして速やかに操作出来るハンドルが必要なのだ」と言って、ハンドルを持ってこさせました。

その職員は、不服そうながらもハンドルを持ってきました。彼には私の真意が分かっていないようでした。確かに慣れた人なら、胸当てのジャッキを手で操作出来るでしょう。しかし、緊急時に慣れた人がその現場に居合わせるとは限りません。「緊急事態」とは、文字通り突発的な事態で、それが何時、どんな形で起きるのかは誰も予測出来ません。だからこそリスクマネージメントが大切になってくるのです。

例えば、電車の運行時に、駅員や車掌は、指を差し声を出して確認動作をします。普段はそのようなことをしなくても、すなわち声を出さず、目で確認しただけでも問題ないでしょう。しかし、そのような動作が普段の手順のなかに組み込まれていることで、何か発生したときには、誰でもが、容易に緊急事態の把握が可能になるのです。「マニュアル化」は非常のときにこそ役に立つのです。しかも、非常の事態は、何時、どんな形で起こってくるのか分からないのです。だからこそ、生命の危機に直結することの多い緊急事態に直面する我々医療人は、普段からマニュアルに従って行動することが大切なのです。

 

 

 

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