菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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186.相手の密やかな感情のさざ波に耳を傾けよ

最近、少しがっかりしたことがありました。新入医局員が、早朝、医局の前の廊下で右往左往していました。訝しがって私が尋ねると、鍵を持っていないので医局には入れないとのことでした。先週末に大学に来ていて種々の手続きは済ませているわけですから、自分達が医局に出入りをする為の鍵は初日に渡されているのが普通ですし、そのような細かいことに心配りすることの重要性は、以前にも度々医局員に言って聞かせていたことです。

人間が、その組織の一員として認められるということは、その組織の制服、組織の一員であることを示すネームカード、或いはその組織に自由に出入り出来る為の鍵の支給などに象徴されます。それらを最初の出勤日にきちんと揃えて彼等に渡すことは、組織自身が彼等に敬意を払っている意思表示でもあります。自分が新人の立場になって考えれば、不安と緊張で一杯で、自分達は何処に行けば良いのか、どう身を処せば良いのか、誰に挨拶をすれば良いのか何もかも分からず、非常に不安な気持ちでいることが容易に思い出せる筈です。それは、医局員一人一人が昔、一度は味わった気持ちです。嘗て自分が味わって、その不安や緊張を知っていたなら、何故、自分の後輩達にそのようなことがないように、彼等が少しでも安心し、また、自分達は歓迎されているという気持ちを持ってもらう為に、細かいことに気を配らないのでしょうか。

胸のネームカードも同じことです。以前、私が指示するまで秘書のネームカードの作成はなされませんでした。ネームカードは、その組織の一員であることの証でもあります。医局の秘書にも大学の一員として仕事をしてもらっているわけです。従って、大学の他の職員と同様には付けて当然ですし、また、付けるべきです。そして、組織の他の職種の人たちと同じネームカードを付けることによって、誇りも責任感も生まれます。もっと大事なことは、同じネームカードを付けることは、彼等が周囲に気遅れ、あるいは引け目を感じるような気持ちを持たないで済むということです。

私自身、カナダに留学したとき、最初は見学者という立場でした。しかし、その見学者にトイレの位置を教えてくれたり、トイレまで連れて行ってくれたり、あるいは一緒に玄関や手術室まで付いてきてくれたり、更には、ロッカー、ネームカード、あるいは白衣の手配までしてくれたのは、他ならぬ私のボスであるDr.Macnabでした。我々医師は、組織と接する、あるいは組織の一員として働いている同僚達に少しでも引け目や不安といった感情の細波が立たないように気を配ってこそ、医療の現場でも真のキーパーソンになる資格が得られるのではないでしょうか。



 

 

 

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