菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

<< 前のページ  目次  次のページ >>

125.再び問う。手段と目的を履き違えるな

去年の7月以来、私は相手を激しく叱責する事を止めました。馬を水辺に連れて行く事は出来ても、その馬が水を飲むかどうかは馬の問題で、私としてはどうにもならないという事を実感してきたからです。しかし、久し振りに昨日の朝のプレゼンテーションでは怒りを押さえる事が出来ませんでした。正直に言うと、怒りを押さえる事が出来ないのではなくて、意識して叱責をしました。それは、本人達が自覚して、手段と目的をきちっと把握していないという事が顕かだった為に敢えて分からせる為に叱りました。今日は手段と目的を履き違えると、やっていること自体が全く無意味になって、自分のみでなく他人にも迷惑を掛けるという事を分かってもらう為に、もう一度話をします。

事件は、火曜日の朝のプレゼンテーションです。カンファレンス中に、医局の中心人物と医局の中堅クラスで将来を嘱望されている人柄の良い医師が私語をしていました。当然一週間のスケジュールで最も重要な行事なので、咳声一つしません。そのときに二人でヒソヒソと話している声は、周りにとって極めて耳障りです。しかも何時になってもその私語が止むことがありません。今の私なら、「ちょっと静かにしてくれないか」との一言は容易に吐けます。しかし、この場合、私語をしている人間が医局員を指導している人間と若い医局を引っ張って行く人間がしているだけに、私はそれだけでは済ませまいとその時判断しました。その結果、厳しく叱責してカンファレンスルームを退席させました。別にこのような退席という処分は初めてでは無く、私は以前にも学生講義の時にそれをしたことがあります。私には医局員だからするとか、学生だから敢えて見逃すという事はしません。同じです。

この事件を考えてみて下さい。一つは、カンファレンスをどう考えているかという問題です。何の為にカンファレンスをしているのでしょうか。カンファレンスの目的は、カンファレンスすることが目的でしょうか。否です。カンファレンスの目的の一つは、全員の目で各症例をチェックし、見逃しを防止することです。もう一つは、医局員全員が、患者さんを把握しておくことです。その結果、主治医が居なくても緊急の場合、或いは看護婦さんの要望に誰でも対応出来る事が狙いです。最後に、教育です。症例を通して、先輩達の経験を若い医局員や学生がその意義するところを汲み取ってくれれば目的は達せられます。以上の様な三つの目的がカンファレンスにはあります。この様に、カンファレンスはこれらの目的を達成する為の手段であって、カンファレンスをすることが目的ではありません。

この様に、目的と手段を取り違えてしまうということは、以前 No.57 でも指摘したところです。医局の中心人物や医局の若手を引っ張って行く人間がこれを理解せずして、どうして若い医局員達がこれを理解出来るでしょうか。翻って私の立場から、このカンファレンスに対する評価を率直に言わせてもらいます。私にとってカンファレンスは得るところはあるのだろうかと考えますと、残念ながら私にとって得るところは殆どありません。たまに自分の知識をリフレッシュすることと、患者さんを管理者の立場で把握するのに役に立つ位です。これらは、カンファレンスでなくても別な手段で把握する方法を私は持っています。もし、周囲からカンファレンスは教育者の義務だからやって当然と言われれば、教える側の情熱はその瞬間に萎んでしまいます。その結果カンファレンスはセレモニーとなり、医局員にとっても私にとっても否、学生にとっても無味乾燥なセレモニー以外の何者でもなくなります。

不思議なもので、組織や社会には、この問題は繰り返し起こります。組織構成員の生活と福祉を守る為に労働組合が出来ます。労働組合を作る目的は、あくまでも組合員の生活と福祉の向上です。しかし、その組織が出来た瞬間から、その組織はその組織の維持の為の活動を開始します。即ち、組合を維持することが目的になって、その組合を維持するために色々な手段が取られることになります。長い間組織が存在していると、組合を作った目的は何かということが忘れられてしまうのが普通です。これは組合に限らず全ての組織に共通の宿命です。

我々の医局は、医局制度が昔からあることからすると、何らかの有用性或いは必然性があるのでしょう。大学紛争があっても医局の解体はありませんでした。解体をしようとする政府の試みは何度も挫折を繰り返しています。形を変えても医局制度は残っています。ですからその医局制度というものには何らかの有用性はあると考えざるを得ません。しかし、医局が作られると、その瞬間から医局を維持することが目的となってしまうのです。本来は何かの機能を有効に果たす為の医局制度であったものが、医局というものが出来た瞬間から医局を維持する事が目的になってしまうのです。これは避けられない事で、こういう事を自覚して我々は常に組織の自己改革を怠ってはならないのです。

話を元に戻します。カンファレンスは何故やるのでしょうか。その目的をきちんと理解していれば、カンファレンスに集中出来ないスタッフがいない筈はありません。にも拘らず、現実にはこの様な事件が起きてしまいました。お互い原点に返って、今ここにいる目的は何か、その為の手段として我々は何を使っているのか、ということを振り返ってみて下さい。そして、No.57 をもう一度読んで、目的と手段という事に関して身の回りを再点検して下さい。

 

 

 

▲TOPへ