菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
123.医師として一人前かどうかは、「分からない事」を知っている事である
医師として長い間臨床や研究をしていると、最も到達しにくいレベルは限界を知る事にあるような気がします。医師も科学者ですから、科学者か素人かの差はどれだけ分かっているかではなくて、何が分かっていないのか、即ち分かっている事と分かっていない事を厳然と区別出来るか否かだけです。全く信じきって当然の事と思ってやっているか、現に今自分がよかれと思ってやっている事は、現実には良く分かっていないままにやっているんだという認識を持ってやっているか、この差は天と地程の違いがあります。科学者と素人の違い、或いは一流と二流の違いは、限界を知っているかどうかのような気がします。即ち分かり得ない限界というものを知っているかどうかです。
例えば脊椎の固定術は、長い間論争の種です。或る人が「固定術をしなければだめである。不安定腰椎に対しては、固定術をすべきである」、「固定術は症状軽快ないし腰痛の治療の手段として、最適なものである」と思ってやっている人もあれば、一方では、全く正反対の論文が北欧からだされています。現在のところどちらが正しいかは分かりません。恐らくは真実は丁度その中間にあるのだと思います。しかし積極的に固定術をする人もあるいはしない人も、少なくとも固定術は「現在ある症状に対する治療として行うのか」、「今後出現するであろう症状の為の予防的処置の一つとして行うのか」、或いは「理由は分からないが、固定術をしたほうがいいからやっているのか」、など自分の固定術の目的をはっきりさせなければなりません。
更に固定術がなぜいいのか、何にいいのかに関しては、本当のところはまだ分かっていないのだという事を認識してやっているかどうかは、大切なポイントです。少なくとも現在の固定術の適応は、率直に言って整地しないまま田んぼの畦道を舗装するようなものでしょう。何故なら固定術が良いのか悪いのか、良いとしたら、何に対していいのか、何故いいのかに就いては全く我々は知ることがないからです。
知らないという事を知っていて何ごとか行っている人、知らない事をあたかも知っていると錯覚したり、或いはそんな事を科学的に証明されているかどうかすら考えないでやる人と、様々です。しかし、分かっていないながらもやっているんだという認識を持ってやっている人と比べると、日々の診療の質、或いは研究のアイディアの数、或いはその医師としての将来の成長は、推して知るべしです。我々医師は100%の科学者ではありません。前に述べたかもしれませんが、医学は所詮ヒポクラテスの時代よりArtです。Artではありますが、何が分かっていて、何が分かっていないのか、即ち分かり得ない限界を知り、それを明確に自分および他人に認識させる事こそが、一流の医師としての条件のような気がします。