菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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65.自治と無責任とは紙一重

自治とは自らを治める事です。個人的には自らを律する事です。これは、言うは安く行い難い典型です。以前の医局の自治会をみてみましょう。自治会という組織の名の元にどれだけ大学としての責任を果たしたでしょうか。研究ではどうですか?臨床ではどうですか?教育ではどうですか?自信を持って責任を果たしたと言い得る人間があの当時の人間に何人いるでしょうか。私は多数いたとはとうてい言えません。それは、どうしてでしょうか。その当時の人間が悪かったのでしょうか。いや、そんな事はありません。人間は何時の時代も性格や知能は同じです。やはり高い目標に向かって何の規制もなく自らを律して生きる事は非常に大変な事なのです。むしろ厳しく規制され厳しく指導された方が楽です。でも、ある一定以上はそれで伸びますけれども、あるレベル以上に伸びる為にはやはり自らを律する以外に手がありません。能力が無いという自覚がある人間ほど一流、或いは厳しい環境に身を置けという事はそういう事です。

自治という名の元にその妥協点を下げると、それは無責任体制に一変します。「まあ、今日はこの辺で良い、患者さんも余り来ない方がいい、来ても自分が疲れているから適当にやればいい」このような安易に流れることをチェックするシステムがない限り組織は壊滅します。最高の理想は個人個人が自らを律して、それが一つの構成体となる事ですが、なかなかそうは行かないので、なるべく数少ない規則でしかもその規則はなるべく理想に近い状態に作っておいて、それに向かって頑張るのが我々凡人には一番楽な事ではないでしょうか。

自治とは非常に甘い言葉で耳に心地好い響きをします。しかし、自治と無責任は紙一重である事は絶えず意識して行動しないと足を掬われます。ですから、下手な自治よりよき独裁のほうがまだましというのはこういう事をさします。自由な研究、独創的な研究には自治が必要だとよく言います。その通りです。しかしそれは極めて高いレベルの話です。やはり医療というレベル、患者さんを相手にしたレベルではある程度の統制が取れた自治の方が、規則のある自治の方がまだ目標があるだけに易しいのではないでしょうか。

どうでしょう、「金は幾ら使ってもいい、来年までに人をアット言わせる研究をして見なさい。」と言われたらあなたはどうしますか。また、24時間どうぞ自由に使って下さい。何の義務もありません。その代わり立派な研究をして下さいと言われたらどうでしょう。これは、両方の話とも研究者に取っては極めて辛い話です。ですから、ある意味ではある程度の制約があり、ある程度の規則があった方が凡人に取っては楽だと思います。究極的には全く規則のない自らを律する事だけで成り立っている組織の中で研究をする事が理想です。それに向かってなるべく数少ない規則で頑張る事が無責任体制にならない為の一つの道なのではないでしょうか。

 

 

 

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