菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
49.万事塞翁が馬:何が幸いするか判らない
私は卒後4年目で当時の助教授よりテーマを与えられました。その時、与えられたテーマは「脊髄砂時計腫の検討」と「はっきりとした病態の判らない血管閉塞を伴った下肢麻痺」(今ではそれが阻血性拘縮だとはっきり判っていますが)でした。このテーマはもう一人の私の先輩であるN医師と同時に言われました。私がどちらを取るかはその先輩次第でした。
私は心の中で「脊髄砂時計腫だと良いなあ」と思っていました。どうしてかと言うと脊髄砂時計腫は多数の文献もあるし、その病態もはっきり判っているし、ただ症例の分析をすれば良かったからです。しかし、現在では自明の事である阻血性拘縮は、その当時は全く判らず、どう研究を進めていいかさえ判らない状態だったのです。案の定、N医師は脊髄砂時計腫を選択しました。私に残されたのは、阻血性拘縮しかありませんでした。
しかし結果的にはこれが、後に下肢のCompartment症候群、そして遂には腰部Compartment症候群への概念と発展していったのです。何が幸いするか判りません。あの時、脊髄砂時計腫を自分が選んでいたら、直ぐに結果は出せたでしょうが、今述べた様な一連の研究の発展は決して望めなかったでしょう。そうすれば私の一生も変わったものになったに違いありません。この様に、その時はそれがどんな幸運を自分にもたらすか判りません。判れば誰も苦労はしません。ですから、何が幸いするか判らないので我々凡人に出来る事は、何でも愚直にやってみる事ではないでしょうか。