菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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40.一生を賭けてでもする覚悟があるのなら、喧嘩をしなさい

私は、尾籠な例えで恐縮ですが、「相手の尻を舐めて物事が丸く治まるのなら、相手の尻を舐めなさい」或いは、「物事を旨く治める為に、もし相手の家の飼い犬にまで頭を下げる必要があるのなら、敢えてそこの家の飼い犬に頭を下げなさい」という事をよく医局員に言います。喧嘩をすると、どんなに後で和解してもしこりは残るものです。自己嫌悪にも陥るものです。ですから、なるべく喧嘩は避けた方が良いと思います。ただし、どうしても自分の人生観に照らして、自分の人間としての尊厳さが損なわれると感じたら、それは敢然として立つべきです。

そして、自分で喧嘩をすると決めた以上は、その喧嘩を買った理由は、自分の人間としての尊厳性を損なわれたと感じての筈ですから、目の前の勝負は負けても良いのです。勝負に拘るようでは、それは自分の人間としての尊厳性に関係あるなどという事は無い筈です。ですから、自分の尊厳性が損なわれると感じた時には、勝敗を度外視して立ち上がるべきです。それで立ち上がった以上は、一生を懸けてでもその喧嘩にけりを付けるべです。

私は、昔自治会という名の下にこの医局を除名されました。私は、除名という汚名を注ぐ為に自分の一生を懸ける事を、医局を去る時に心に誓いました。自分でどうしても納得出来ない、このままでは自分の生き方が駄目になってしまうと思った時には、例えその時は挫折しても、その意思は貫くべきだと思います。そういう生き方は、思想や信条を越え共感を呼ぶ筈です。私はその屈辱をバネに喧嘩を約20年間してきたつもりでいます。私がこの大学の整形外科を主宰する様になっているのも、この事件と無縁ではありません。

人間は喧嘩はすべきではないのです。自分が頭を下げて済むものなら、幾らでも頭を下げるべきです。しかし、自分の生き方の根幹に係わる様な問題で、自分の説を曲げなければならない時には、勝敗を度外視して立ち上がるべきです。そして、一生を懸けてその喧嘩のけりを付けるべきです。そういう潔さが他人の信頼を勝ち得るもう一つの道なのです。

 

 

 

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