菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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36.努力出来ることも才能である

1992年11月27日、私の恩師Dr.MacNabが亡くなりました。享年78才でした。私はこの人に出会わなかったら、現在の自分はないという意味で私にとって忘れ得ぬ人です。彼の死亡を聞いて色々な事が頭に浮かびました。これから彼の生前私に教えてくれた幾つかの教訓を話してみたいと思います。

先ず、このタイトルは彼が私に言ってくれた励ましの言葉です。私のカナダへの留学には何の伝手も保証もありませんでした。知り合いは誰もいませんでした。福島医大整形外科には留学経験者が居なかったので、全て手探りでアパート探しから始めました。外国留学に必要な書類の作成も判りませんでした。勿論、英語は全く話せませんでした。Dr.MacNabの部屋に病院の玄関から行くまでに15回も尋ねたのを、今でも昨日の事の様に覚えています。

そんな私ですから「電話は取るな」という事を秘書から言われた程です。私は自分が他人と同じ様に働けるように朝は5時半に起きて、病院に6時までに入りました。それで他のDr.より早く来てカルテをチェックし、病棟を回診しました。英語はなかなか上達しません。ある時Dr.MacNabに「英語が出来ないので、今の私は努力でカバーするしか方法がない」と愚痴った事があります。MacNabは、私が朝早くから来て働いているのを知っていました。なぜならば彼も定刻の7時よりかなり早く来ていたからです。その時彼は私に言ってくれました。「Shinよ、心配するな。人間は努力出来る事も才能の一つである。それは、他人に誇り得る財産の一つである」と励ましてくれたのです。この言葉は神の啓示の様に私に頑張る勇気を与えてくれました。それから英語が旨く話せなくても、努力する事こそが尊いのだという気になりました。それが結果的には現在の自分に繋がった様に思います。

前の項目でも話した様に人間の才能は様々です。その才能には色々ありますが、努力出来る事も一つの才能なのです。ですから、自分で自分の能力に疑問を持っている人は努力出来るか否か、もし努力が出来るのであればそれは何にも勝る才能なのです。努力出来る人は、自分の努力出来るという能力を信じて頑張ってみるべきです。

 

 

 

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