菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
35.劣等感こそが人生のバネ
劣等感という言葉もあまり良い意味では使いません。しかし、劣等感を有していない人間で尊敬出来る人がいない事も世の中でよく言われている事です。劣等感こそがその人間を大きく飛躍させるバネになっている、これはよく言われる事で、事実私もその通りだと思います。時々私は劣等感など感じた事が無いなどと脳天気な人間もいますが、一般の凡人には劣等感がありこそすれ、優越感はあまりないのが現実ではないでしょうか。ただし人生を変えるバネになり得る劣等感は、自分が墓場まで持って行かなければならない様な劣等感です。
自分の一生を決定付ける様な悲しい屈辱、これこそがその人間を飛躍させる劣等感の際たるものの様な気がします。私自身、家族にも周囲にも決して漏らす事が出来ない、しかし自分は一生忘れる事が出来ない屈辱、負い目を私は持っています。でも私はそれがあったからこそどんな辛い時でも立ち向かっていけたのだと今振り返ってそう感じます。本当の劣等感というのは語れないものなのです。
では、翻って考えてみましょう。よく劣等感こそが人生のバネだと言います。そして劣等感を堂々と披瀝している人がおります。でも私から言わせれば、人に披瀝できる様な劣等感はそれは劣等感ではないのです。本当の劣等感或いは屈辱感は口が割けても死んでも言えないものなのです。墓場まで自分と一緒に持っていくしかないのです。そういう事が劣等感なのです。またそれがあるかどうか、或いは敢えてそれから目を反らしていないかどうか、それを顧みる事こそ自分のこれからの人生を決定する大事な事です。これも前に述べました様に人の才能はそれぞれです。
しかしその才能を花咲かせる一番の肥料は劣等感だと思います。しかし、その劣等感は人に話せる様なものではある筈もありません。話せる様な劣等感はそれは劣等感ではないのです。ですから私自身の具体例をここに述べるわけにはいきません。皆それぞれ劣等感がある筈です。口にも出せない劣等感があります。無いとしたらそれはひょっとしたら無意識下の深層心理として潜り込んでいるのかもしれません。だとしたらそれを意識下に掘り起こす事こそがその人間の飛躍の為の第一歩なのです。一度やってみて下さい。