菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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146.流した汗を信じなさい

このところ、対外的な私の活動が多くなると共に、第3者から見た整形外科医局の印象を聞くことがあります。当然、当事者に対する批評ですから、お世辞半分が入っていると思います。それにしても、自分が信頼している人々から、医局員の社会人としてのマナーの良さや患者さんへの丁寧な応対、真摯な診療態度、早朝からの廻診など、具体的に褒めて戴く事が少なくありません。私はその度に、医局や若い医局員を育てる為に流した汗を信じる事が出来ます。

学生に、「いくら努力しても報われないことが多いのではないか」、「学閥や門閥で挫折する事も少なくないのではないか」という質問を時々受けます。それはそうでしょう。名門大学を出た人が名門大学でない人と俗世間上差が付かなければ、名門大学出の人は面白くないでしょう。もし自分の医局が名門大学のそれで、他大学出身者と名門大学出身者の自分が就職や出世で差がないとしたら、第3者はフェアな医局と言うかも知れませんが、本人は内心面白く無いでしょう。もし自分が名門大学出身の医師だったら、私でもそう思うに違いありません。立場を変えれば良く分かることです。しかし、だからといって全てをあきらめる理由は全くありません。個人の背景が全く考慮されない世界で活躍すれば良いのです。

人は努力しても報われないこともあります。しかし、努力しなければ決して報われません。自分の流した汗を信じることです。自分の流した汗を信じる事が出来るからこそ、例え自分の思い通りにいかなくても、「やるだけはやった」という満足感が残り、自分で納得がいきます。そうしないと自分の受けた結果に対して悔いが残ります。悔いが残るだけなら良いのですが、うまくいかないのは自分が至らなかったせいだと思う事は、私も含めて、口で言う程簡単な事ではありません。

自分の努力が足りなかった事を棚に上げて、人は往々にして他人との対等の立場を維持する為に、他人の足を引っ張ります。「自分がこの様な境遇にあるのは他人のせいだ」という事をよく言います。そういう事を言う本人の気持ちは、痛い程分かります。しかし、何と虚しい事でしょうか。居酒屋で聞く上司の悪口も、程々の内は笑って聞き流せる事です。しかし、余り度が過ぎると、聞いていて気持ちの良いものではありません。「努力をしても報われない事もある。それが人生だ」という事を、自分で納得する為にはやはり努力をしなくてはなりません。そして、その時に流した汗を信じるしかありません。私は最近、自分で流した汗を信じる事にしました。信じる事で初めて、その結果はどうあれ自分で納得出来る様な気がするからです。医局員も自分で流した汗を信じて頑張って下さい。

 

 

 

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