菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
136.他人に易しいと思わせるような手術をせよ
学生教育をしていると、時々学生の何気なく吐く言葉から普遍的な事実をつかむことがあります。学生を教育して7年になりますが、何度か学生からの何気ない同じような言葉がありました。私はその都度、同じような答えをしていました。それが医学にだけ通用することだったと思っていたからです。でも、それは普遍的な事実なんだということが分かり、今回それを自分自身にも認識させる為に筆を取りました。
学生教育の中では、手術見学は大事なカリキュラムの1つです。度々、学生と一緒に手術をする機会を得ます。その時、学生は初めての手術ですから、何をしているのか本当は分かりません。それだけに深く考えずに発言をします。その中でよく聞く言葉に、「先生の今やっている手術はずいぶん易しいですね」という台詞があります。その時私は、「易しいと他人に思わせるような手術をしないとだめだ」と感じました。難しいと思わせるような手術は2つしか考えられません。1つは、本当に難しい手術である可能性があります。もう1つは、自分の技術が未熟な為に、易しい手術も他人には難しく見えてしまうという可能性があります。多くは後者だと思います。ですから、「易しい手術だ、俺にもでも出来る」と学生や研修医に思わせるような手術をすることが大事なのではないかと思います。
つい最近、VOICEという雑誌に、ヤクルトスワローズの野村監督の座談が載っておりました。そこでの質問に対して、「易しい、難しい、どっちも本当だ。しかし、、難しい道を踏んで、踏み越えて、真に難しさを苦悩したうえで、初めて易しい。これを知った人でなければ本物ではない」という文章がありました。つまり、本物の易しさでプレーをしなさい、ということだそうです。ファインプレーに見えているうちはだめだということと一脈通じるものがあります。これを読んで、技術というのは、やはり、難しい技術でも易しく、何気なくやっているように他人に見えないうちは、本物ではないということが分かりました。
1つの手術手技になれてくると、だんだんとその技術は洗練され、ついには、そこには意識というレベルを越えて、相手の組織と自分の手が対話しているように淡々と進みます。この淡々と進むということが、1つの境地なのではないかと思います。
我々外科医は、ある意味では職人の面を色濃く持っています。その職人にとっては、他人に易しいと思わせるような手術をすることが、或いは、易しいと思われるような技術を持つことが、1つの目標ではないでしょうか。