菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
60.自分の目で見たもの,自分の耳で聞いたものだけを信用せよ
人は様々な事を風聞という形で経験します。しかし、風聞程当てにならないものはありません。この事は誰でもが感じている事だと思います。もし、自分が人間としての評価を自分の目で見て、或いは一緒に直接話していた感じから評価してもらう分には些かの不満もないと思います。しかし、もしこれが全く会った事のない人間が自分の事をさも直接会った結果としての評価のように話されたら非常に不愉快だし、納得がいかないと思います。
私は、以前この医局でひどく評判が悪い人間として有名でした。私が、この大学へ戻ってきた時、私を論文でしか知らない後輩がさも鬼でも見るような目で、よそよそしい態度で接した事を覚えています。彼等は、私という人間と一度も話したこともないくせに、先輩達の言った極悪非道の人間、或いは自分勝手な人間というイメージで私と接している訳です。そういったものに接すると、「間接的なもので評価される人間の哀しみ」を感じます。
医局を例に取って話して見ましょう。医局でとかく色々と問題のあった人間がいました。その人間を学外研修に出す時に、あらゆる病院から断られました。私は、その事に非常に不満を覚えました。断られた事に不満を覚えたのではないのです。人の評判だけで他人を評価して、その評価でもって何等かの判断を下す事に不満を抱いたのです。私が恐れるのは「間接的なもので評価する事の恐ろしさと共に、間接的なもので他人を評価している事の危うさを認識していない」事です。
考えても見て下さい。もし自分が一度も会った事がない人間に他人の風聞で評価される哀しみを。結局その人間はこちらで計画した人事には載れず好意で受け入れてもらった病院で面倒を見てもらいました。しかし、一年間何とかやり通せました。それは、周囲の温かい理解と細心の配慮があったからだと思います。でも、そういった事で結果的には研修医としてやり通せた事はその人間の自信にもなるでしょうし、また、人の親切を身に染みて感じたと思います。
やはり、人間関係を築く一番大事な事は自分の目で見たもの、自分の耳で聞いたもの以外はあくまでも参考にして、自分の目、自分の耳を信じる事ではないでしょうか。そうする事によって自分の判断に対する責任も出て来ると思います。