菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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43.部下の評価は、自分がその部下の年代であった時の状態を思い浮かべてせよ

医師という縦社会に住んでいると、部下を指導し時には叱り飛ばす事も希ではありません。その時は大体怒りという感情がその大部分を占めているのが実情でしょう。その怒りとは、何故出来ないのだ、何故こんな簡単な事が判らないのかという怒りです。しかし、最近私はそれが誤りだという事にようやく気付きました。

考えてもみて下さい。自分がその年齢の時にはどうだったでしょうか。恐らく似た様なものだったでしょう。或いはもっと劣っているのかもしれません。時代の流れがある分だけ、今の若い人の方が出来る筈です。具体例を考えてみましょう。私は今でこそ、脊椎外科で人を指導する立場にありますが、研修医時代に血管撮影をさせられました。血管に針が当たらなくて足を先輩から蹴飛ばされました。本当に辛い思いをしました。その時何故もう少し親切に教えてくれないのだろうかと、先輩を恨みました。今自分が教える立場になると、やはりどうしてもその時の事が思い浮かんで、親身になって指導する様になりました。また、その血管撮影は今では、私にとってはどうという事もないですし、私の部下にとっても、どうという検査でもないでしょう。それが時代の流れであり、それがその個人の時の流れでもあるのです。

もう一つ具体例を話しましょう。私が日赤医療センター勤務にしていた時代、脊椎の検査は午後に約12人から15人並べて自分一人でやりました。約10人内外の検査を60分から90分位でやりました。我ながらよくやったと思います。その時に毎週返ってくる放射線被爆量は警告の赤文字です。ついには右手の親指と小指が痺れてきました。止むを得ず約2、3か月間若い人に代わってもらいました。この事実は、私がいかに脊椎検査の手際が悪かったかという事を示しています。今なら一人30秒から1分でしょう。でも、それは今だから言えるのであって昔はそうはいきませんでした。

それは、私が若かったという事と脊椎検査の技術が確立されていなかったという時代背景があります。それでは目を現代に転じてみましょう。今は若い人でもかなり上手にやります。その所要時間はますます短縮されています。放射線被爆量も我々の努力の結果、随分と軽減されてきました。それが時代の流れであり、それが個人としての時の積み重ねだと思います。ですから、人を評価する時には自分が今評価しようとしている人間と同じ時代では自分はどうであったかを思い浮かべてみると、指導の、或いは叱責の口調はぐっと優しく、或いは暖かみのあるものになるでしょう。私を含めて時々頭を冷やして、この事を考えてみる価値はあります。

 

 

 

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