菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
28.白衣を着ている時は常に見られている事を意識せよ
医師としての職業の一番しんどい所は、患者は、医師に常に神の様な神聖さを要求する事です。医師の立場から言うとそんな事はとても不可能です。でも患者さんはそれを要求しています。我々は出来る限りそれに応える必要があります。
患者が外来に来た時に、良いDr.に当たる様にと、祈る様な気持ちで外来を訪れます。医師にとっては、その患者はOne of themです。しかし、患者にとってはOne and onlyです。患者さんは医師の情報を何ら与えられておりません。その為、あらゆる努力をしてDr.がどんな人かを探ります。服装、礼儀、挨拶、身嗜み、些細な事から医師を良い医師かどうか判断しようと試みます。我々は、そういう視線に耐えなければなりません。ですから医師は患者さんが持っている良いDr.のイメージに相応しい服装、マナーが要求される訳です。それは良い、悪いの問題ではありません。患者さんのイメージを壊す権利は我々にはないのです。
一番良い例は、「にせ医師」です。にせ医師で評判の悪い医師は一人もおりません。我々はにせ医師を真似ればよいのです。ですからきちんとした服装をし、ネクタイをし、靴を履いて、洗い晒しの白衣を着て、患者さんが入ってきたら「おはようございます」、「お待たせしました」と迎えてあげたら、不安も或いは長く待たせられた不満も一遍に解消するでしょう。こういう事は学生や医学生や医師の立場からはなかなか判りません。でも一瞬にして判る時があります。それは、自分が患者になった時です。ですから場合によったら、一度病気や怪我をしてみるといいのです。いかに病院が患者さん本位になっていないか、特に国公立はその点、病院という名に値しません。
また、SGTで学生が迴ってくる度に服装や礼儀や挨拶の事を言います。二週間経ってまとめの時にようやく判った様な事を言う人もいますし、実際本当に判ったと思われる学生もいます。しかし、判っていない学生も数少なくありません。ある時、女子学生が涙ながらに「先生の言う事が初めて判った」と話を始めた事があります。それは自分のおばあさんを大学で亡くした経験からです。おばあさんが真夜中に亡くなった時に当直医はジーンズで素足にサンダルを引っ掛け、Tシャツで白衣の前をはだけ、聴診器を首に下げ、不機嫌そうな顔できたそうです。その時に自分の両親や自分は本当に情けない思いをしたそうです。人間の人生としての終わりに立ち会うのにこの様な尊厳を犯す様な態度は許されるものだろうかと憤ったそうです。自分が被害者になるとすぐにそういう事の至らなさが判るわけです。
また、私がSGTの学生にいつも言うエピソードがあります。私がカナダで勤務した初日の事です。ベルギー王室からの紹介のDr.が7時15分の朝回診に慌ただしくやって来ました。その時に彼はジーンズをはいて来ました。それを見た私のボスは直ちに首を言い渡しました。その時の理由はこうです。「ジーンズはカジュアルな服装である。君がジーンズをはく権利は100%君が自由に出来る時間の中にある。しかし医療はフォーマルだ。しかも君は私の患者さんを診せてもらう立場にある。私の患者さんは、医師がその様な服装で診療に臨む事を望んでいないし、私も望んでいない。従って君は私の患者を診る権利はない」この様な事を言った様に記憶しています。
その場で彼は首になり、次の日ハーバード大学から、早速別のDr.が来ていました。私は、日本を発つ前の日に日本橋の三越に行って、ネクタイを一本だけ買って行きました。自分は今までどんな格好をして診療をしていたかと言うと、素足に雪駄を履き、コットンパンツをはいていました。でも、私は一所懸命研修していました。患者さんにも一所懸命で接していました。ですから、その誠意さえあればいいと思っていました。しかし、それは誤りだったのです。自分はそういう気持ちでも相手は必ずしもそれが判りません。患者さんにすれば自分の主治医に関する情報は少ない訳ですから、どんな気持ちで患者さんに接してくれているのかは判りません。私はそこまでは思い至りませんでした。
そのエピソードのあった夕方専門店に行き、ネクタイを慌てて一抱えも買って来た事を覚えています。それ以来、注意してみるとスタッフは毎日背広を変え、Yシャツを変え、ネクタイを変えてきます。非常に服装に気を使っていました。ある時、スタッフの一人を冷やかして聞いたら、患者サービスだと平然と言ってのけました。Private Hospitalでは、全てが契約関係で、しかもDr.は競争関係にあるわけです。ですから、そこまで患者さんに気を使って頑張っているわけです。私はそこから、人に与える印象の重要さを学び、以後自分の服装に最大限の注意を払う様になりました。