菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜」
9.規則は少ない程良い、しかしその為には自律が要求される
個人にとって社会或いは組織から制約を受ける何等かの規則は決して有り難い物ではありません。規則が無ければ無い程、個人としての自由度や組織としの活性が生かされます。しかし現実には組織は規則だらけです。社会も規則だらけです。何故そうなるのかを一度考えてみる必要があります。例えば、規則は何かを規制する目的でつくった筈です。しかし、その規則は出来た瞬間から規則によって個人が縛られると共に、その規則が逆に回りの個人や組織の自由を奪います。すなわち、何等かの目的を達成する為の手段として出来た規則が、規則を守る事、或いは規則を維持する事が目的となってしまうのです。これは非常に危険な状態です。
徳川幕府があの様に永い間続いたのは、一説にはその規則がほとんど無いに等しい、すなわち昔の駿河の田舎の庄屋であった時代の規則に必要最低限な規則を追加していっただけという規則の少なさが徳川幕府300年の秘密の一つであったとも言われています。この様に規則が無い事は大いに良い事なのです。しかし、その様な状態を作るには個人並びに組織に大きな自律が要求されます。組織は結局は個人の集合体ですから個人一人一人に自律が要求されるわけです。規則を作られるのが嫌であれば、或いは規則を作るのが組織個人の活性を失うとするならば、それらが必要でない程自らを律する必要があります。
医局行事を例に執って考えてみましょう。まず朝7時半に始業です。これはもともとの目的は午後に何の公的スケジュールも組まない、それによって自由に研究や診療応援が出来るという目的があってつくられたものです。ですから7時半に始業する事が目的ではなくて、午後に自由な時間を作る為の朝早い始業なのです。又、人によっては7時半までにくればいいだろうと考えている人も少なくありません。これも規則に個人が縛られている結果です。何の為に7時半にしたのかが判っていない、一つの典型例です。
先程述べた様な理由で7時半になっているわけですから、もし自分が7時半からの始業に10分の余裕が有れば、充分7時半からのスケジュールに対応できる人であれば7時20分に来ればいいし、準備時間に更に長い時間を要する人であれば、その人は7時に来ればいいだろうし、或いは6時半の人もいるでしょう。それが、自律という事だと思います。自律というのは、自らが自らを厳密に評価して、それに応じて行動する事を自律といいます。それによって個人としての自由度も保たれますし、組織としての活性や規律も生まれてくるわけです。初めに7時半ありきではないわけです。
次に総回診について考えてみましょう。総回診は毎週決まった曜日、決まった時間に行います。これも先程の考え方と同じです。総回診が目的ではありません。総回診は何かを成し遂げる為の手段です。では、その目的は何でしょうか。総回診が目的ではないわけですから、別に目的がなければなりません。それは患者さんとの信頼関係、安心感の確立です。というのは、患者さんと教授自身が接触する時間は30秒足らずです。それで医学的に何も判るわけではありません。ただ、医療上は大きな意味があります。すなわち教授自身がその患者さんの事を知っているという事を患者さんにメッセージとして送らなければなりません。
又、患者さんの前で主治医とスタッフと教授が一体となってその患者さんについて話し合う事は、患者さんが皆で私の事を考えてくれている、皆が私の事を判ってくれているという事を患者さんに教える事にもなり、皆で医局全員であなたの事を心配していますよというメッセージを患者さんに送る働きをしてるわけです。だから総回診を全員出席でやりましょうというのは、集まる事が目的ではないのです。全員が集まって患者さんについて全員で対応しているのですよという大いなるメッセージを入院患者さんに送る事が目的なのです。その目的を自らが理解していれば当然個人個人がとるべき行動は決定されます。
逆に総回診が目的だと考えていると総回診を欠席する事もあるでしょう。総回診を忘れる事もあるでしょう。それは総回診が何の為に行われているかといる原点、その背景にあるものを考えていない結果起き得る当然の帰結です。
以上述べた様に規則が少ない組織程、規則を持たない個人程、活動的で魅力のある個人或いは、組織はありません。しかし、それを達成させる為には個人個人の大いなる自律が要求されます。医師は職業として、そういう事が最も要求される職業です。だから、医師の職業欄には自由業と書くのです。